三田典玄の「体育館の裏話」 Ver.2

オリンピック、シール貼るの忘れた、で失格。
トヨタ自動車、結局プログラム改修。で、そのときの社長の対応も遅かった。
JRは検査のミスでネジ閉め忘れてパンタグラフが取れちゃった。
どれもこれも、日本社会にかつてあった「緊張感」がまるで感じられない。
いや、ぼくだってこのまえ不注意で池に落ちた。人の事は言えない。
もっとも、緊張感なんてなくていいのさ、ということもないではない。
いくら経済が破綻していても、楽しく暮らすことを知っていればいい、というメキシコみたいな国もある。
あそこは日本人が行くと、イライラしっぱなしだ。メキシコだけじゃなく、ラテン系の国はそういう感じ。
約束に30分くらいは遅れたうちに入らない。
日本もそろそろ、あのショーバイ第一で薄汚れたオリンピックなんかで勝とうなんて思わないで、楽しく遊んでくればいいんじゃないかな、とも思う。たかだかオリンピックなんだから。
緊張感のなくなった日本と日本人。それじゃまずい、と言うのか、それもいいじゃない?と言うのか?
なんでも一番にならなければ気が済まない、というのは、お気の毒な性分だねぇ、という人もいていい。
どっちがいい、というのではなく、その両方がいるからこそ、世の中はバランスがとれる。いき詰まって死ぬよりはユルユルと生きよう、という場があるからこそ、緊張感に余裕が加わって、一番を目指すことだっててきるようになる。
ステッカーを張り忘れた?で、失格になった?それだって、「それは由々しきことだ!」という考え方といっしょに「あはは!またがんばろうな!」という2つの考え方がある。この両方の考え方を持っているからこそ、人間らしさ、というものがある。
世の中がどちらかの極端に行く、ってことが、本当は一番怖いことだ。
多様な考え方を許さないから、新しいものが生まれなくなる。
新しいものが生まれない社会に慣れると、人間はバカになる。
バカな人間の行く末は、破滅しかない。
かつて「負けるくらいなら死を選ぶ」なんてことを言った時代があったよね?
あの時代の再来だけはごめんだ。
生きるということは、そういうことだからだ。
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