東京は東洋の流行の中心地なので、いくら日本人が中国を嫌っている人が多かったり、その逆だったりしても、ファッションや流行の情報は東京に習う。これはアジアの都市のほとんどが、いまそうなっている。
アジアのみならず、経済の世界では「国」という枠組みを一切こえて、「個」と「個」、そして「企業」と「企業」が、つながりだす、そういう予感がするし、実際にあちこちでそうなってきている。
となると、地域で言えば国ではなく「都市」と「都市」がつながりだす。
それぞれの国の外交チャンネルなんてものは、その選択肢のひとつに過ぎなくなる。
うーん、まてよ。
そうなると、いま、台湾と日本は正式な国交が無いために、台湾の大使館の役割をしているのは「台北駐日経済文化代表処」だし、なにかの国際大会があるときに台湾が出ると、そこは「Chinese Taipei」という名前になっている。みな「台北」という都市の名前で出てくる。
ご存知の通り、オリンピックなんてのは国ではなく「都市」を単位にする。「北京オリンピック」とは言うけれど「中国オリンピック」とは言わないし、「東京オリンピック」とは言うけれど、「日本オリンピック」とは言わないし。
つまり、台湾ってのは、そういう意味で図らずも世界とつながる都市行政というものを先取りした存在になるのかもしれない。
考えてみれば、その昔、城塞都市なんてものがあったりしたわけで、それは都市そのものが国そのものだった。通信網もなにも貧弱な時代は、中小の「国」そのものが都市化せざるを得なかった。それが交通機関などの発達、農業や漁業などの広い場所を必要とする生産拠点とともに「国」と言う単位に広がりができた。そして、国には人が散らばり、あらゆるところで生産を始めると、そこここで人も増え「国」という広いエリアの囲い(=経済単位)が必要になったからこそ、「国」という単位と国境ができた、ということになる。国境が無い時代は、あるいはそれがあいまいな時代は「都市」が人が集まる原点となったけれども、農業生産などの広がりが国という単位を作った。
そして、高度に通信やロジスティクスが発達した現代では、これらの「ネットワーク」が人を動かす要となる。そんな時代には、物事がふたたび「国」ではなく「都市」を中心に動き出す。
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むしろ、このほうがグローバル化した世界のこれからの「行政単位」なんだろう。これは人間個人の行動範囲の「実感」に戻ることになる。
「都市は国を越える」。
よく考えれば、これがインターネットをはじめとした、誰でもが使えるグローバルな通信網とグローバル化したロジスティクスの出した1つの「答え」なのかも知れない。
となると、国の行政もまた「都市」をどうするか、ということを中心に考えざるを得なくなる。
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